1型糖尿病患者のおどおど記録

10年間の糖尿病患者、日常の闘病記録を書いています。2010年秋に発症に突如発症した一型導尿病と付き合って10年、それまでのこと、これからのことの記録です。

低血糖対策 バクスミー 点鼻粉末剤 20年10月登場

「点鼻粉末剤」は、低血糖による重症の症状が現れた時に緊急対応するための薬です。

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例えば、意識が遠のく、痙攣、昏睡(意識を失う)となり、自力で回復できない時に家族や職場の人に助けてもらう薬です。

 

これまでは、注射により重症低血糖を救う方法はあったけれど、点鼻により身近な人が救急処置できるようになったことが、画期的です。

注射となると、事前に注射の仕方について指導を受けている必要もありますが、もし、そうであっても、普段していないので、いざとなると、ためらってしまうこともあるでしょう。

この薬は、鼻の粘膜から吸収されるので、意識がなく、薬剤を吸い込めないときも使用できるという大きなメリットがあります。

成分は、グルカゴン(血糖値を一時的にあげるホルモン)、3mgを含んでいます。

 

点鼻薬といえば、花粉症につかうものがあります。鼻にシュッと噴霧するだけで鼻づまり、くしゃみなどが楽になるので、低血糖時でも同様のものはないのかと思っていましたが、遂に現れたということになります。

ただし、この点鼻粉末剤は、緊急時に一度きりしか使えません。

軽めの低血糖時に、飴やジュースの代わりに、花粉症の点鼻薬のように、シュッとするものではありません。色々課題があるのでしょうが、今後、出てくることを願っています。

さて、この点鼻粉末剤は、昏睡時に家族等に使ってもらうものなので、置き場所、使い方、症状によっては、噴霧後に救急車を呼ぶことを情報共有しておくことが最も重要です。

(室温30度以下での保管が必要です)

 

バクスミー 点鼻粉末サイト

https://www.diabetes.co.jp/hcp/baq/product-features

 


バクスミー 点鼻粉末剤

 

 

最初の診断では、逆流性食道炎、そして血液検査の結果、糖尿病と言われた

馴染みのクリニックを訪ねたのは、もう一月以上続いている喉と口内の渇き、そして頻尿にたえ切れなかったからだ。クリニックにいく1週間前は、この症状はドライマウスではないかと自己判断して診てもらったのだけど、見事見当外れで、「異常なし」と言われていた。

クリニックの先生には、これまでの自分の体の状況を話した。

体重も55キロくらいになっていた。約1ヶ月超で7キロ近くも落ちていた。

血液検査のための採血もあったが、結果が出るには数日かかると言われたので、先生は私の話を総合的に判断して「逆流性食道炎の疑いがある」として、薬を4日分出してもらった。

 

早速、この日の夕方から逆流性食道炎の薬を飲み始めた。

翌日には、喉の乾きがいつもよりマシになっているを少し感じたので、効き始めたぞ!

治癒への道が見つかった!と内心喜んだのであった。

そして、二日ほど経つと、さらに改善が見られて、頻尿感も減り、夜中に起きることがなくなった。一晩ぐっすり眠れることのありがたみを久しぶりに味わうことができたのでした。

 

数日が経ち、クリニック2回目の受診を迎えた。順番が回ってきたら、先生には「改善傾向を感じます」と言おうと思っていたのだが、椅子に座った途端に、先生から「血液検査の結果だけどね、糖尿病だと思われる」といきなり言われのでした。

 

私は「?』、目が点である。

太ってもないのになぜ?

先生は「血統の状態を示す、Hb1c (ヘモグロビン エー ワンシー)が14.5%なの、正常値は6ぐらいだから、相当ひどいよこれ』

今の私なら、14.5%という数値がどれくらい高いか、肌身でわかるが、当時は「糖尿病」という言葉のインパクトにただただ呆然とするだけでした。

 

それに、なんだか格好悪い気分にもなりました。これまで健康的なのが自分らしさだったし、実年齢よりも比較的若く見られるのが常だったのもあるでしょう。初老の病気にいきなりかかってしまった。というような感じだったでしょうか。

 

とにかく、糖尿病に関する予備知識はほとんどなかったので、どうしたら良いのかわからず、

先生には「去年の健康診断では正常値でした、元に戻すには、どうしたらいいですか」と尋ねてみました。

 

先生「とにかく運動をすること、そして甘いもの、炭水化物を含む食事を減らすことです」

私「運動は週4回前後行ってます。甘いものは減らすよう頑張ります」と答えているものの、糖尿を宣言され気落ちした様子が出ていたのでしょう。

先生「私の弟も糖尿です。食事でコントロールして改善してますよ、しばらく頑張って見ましょう』

私「はい」この時は、これしか言えませんでした。頭の中では「おやつのシュークリームとコーラの組み合わせ、食後の甘いお菓子、ご飯のどか食い、、、もう、やめなければ」という、これまで普通になっていた生活を制限することの悲しさ、これからどんなものを食べていけばいいのかという不安」これらが混沌と脳内を渦巻いていました。

先生「血糖値を下げるには膵臓がきちんと働かなければならない。それを助ける薬を出すので、用法用量を守って飲んでください」

私「はい」

他に先生からは、ストレスをためないこと、食事に気をつけるための、わかりやすいガイドブックも錠剤と一緒にもらい、帰路へついたのでした。

 

帰宅早々、妻からは「どうだった?」と聞かれました。心配していたのだろう。

「糖尿病と言われた」

「何それ、そんな体格じゃないのにね」

「肥満じゃなくても、血糖の値が高くなるんだって」

「ふーん、ま、原因がわかったんだし、薬を飲んで、食事に気をつけて、しばらく様子を見ましょう」妻は比較的冷静だった。私も妻からその言葉を聞いて少し安堵した。その言葉にすがるしかなかった気持ちだった。

 

この日以後は、妻の協力を得ながら、野菜を増やした料理、お米の量を減らした食事が始まった。

薬もきちんと処方通りとり始めた。

運動は、これまで通り、ジムに通った。体重は落ちたが、体が軽くなった。有酸素運動では気分良く動けていたのだが、これが病気による体重減では元も子もないと思わざるとえなかった。

 

錠剤を飲み続けていると、その効果はすぐに出た。逆流性食道炎と診断され出されて飲んだ薬も一定効き目があったけど、糖尿病治療のための専門薬は的確に聞いているように感じられた。

 口内・喉の渇きはほとんどなくなったし、水分の異常摂取も激減した。それに伴い頻尿もなくなった。これで膵臓が元気に戻ってくれればいいんだが、、、と願うばかりであった。しかし現実は厳しい。現状から考えると、この憶測は楽観であったとした言いようがい。

 

並行して、糖質制限の食事に取り掛かってもいた。

当初から、ある程度は、できるものの、長年に及んで深く根ざした生活習慣を変えることは、容易いことではなかった。

まず、コーラ類をやめようと思ったが、これがなかなか難しかった。

コーラには、角砂糖でいうと500mlに15個近くが入っている、真っ先にやめるべきものであった。同様の炭酸飲料も同程度入っているので、飲むのをやめる努力に取り掛かった。

 しかし、中毒性があるのか、飲みなくてしょうがない衝動に頻繁に襲われた。

時には、ダイエットコークなら許した時期もあったほどだ。

大好きなシュークリームも減らした。同様に菓子パンもだ。

米のどか食い、これもやめる努力を繰り返した。ゆっくり噛む。それだけがなかなかできないのである。口に入れると、いつも間にかすぐに飲み込んでしまうのである。

これも身に染みた習慣、変えるには相当の期間がかかったと思います。

10年経った今では、当時と比べると大きく変化していますが、いまだに止められない、食生活の習慣は残っています。この大変さは、また、別の稿で改めて詳しく書くつもりです。

 

処方された薬はジャヌビア50mg

この小さい錠剤を一つ飲むことで、激しい喉の渇きから解放されました。

しかし、これで糖尿病が治るわけではない。

膵臓インスリンを出すのを助けてくれるのだ。膵臓がちゃんと働いてくれれば、

糖尿病が改善するんだが、そう簡単にはいかないのが、この病気である。

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激しい喉の渇き! それが1型糖尿病の始まりだった

平成22年の秋、暑い夏が終わり、朝晩が涼しく感じられる心地よい秋の季節が始まっていたが、その頃の私は日々「喉の乾き」に悩まされていた。

この年の夏は大変暑かったので、この喉の渇きは、水分を求める体の生理的な習慣が長引いているのだなと軽く考えているに過ぎなかった。

 

当時を振り返ると、このころの食生活は、めちゃくちゃいい加減、気まぐれで、好き放題としか言いようがないものだった。

コーラが好き、シュークリームが好き、そして毎晩の晩酌ではビールに始まり、チョコやチーズ、アーモンドをツマミにワインか焼酎を酔って満足するまで飲み続けるというものだった。

 

晩飯は、妻の手作りだが、どか食い。白ごはんも山盛り食べるというものだった。

それでも、細身の体のままだったし、翌朝はスッキリ目が覚め、朝食を食べ、1時間の満員電車に揺られて、職場に通っていました。

そして、仕事が終わると、ジムに通い、有酸素運動、ウエイトトレーニング、ストレッチ、仲間との雑談、心地よいスパでリラックスして帰宅するという日々を送っていました。

 

自分としては、仕事の緊張感、やりがい、そしてジムでのトレーニング、、、

これだけ健全に過ごしているのだから(単なる思い込みでしたが)、食べ物くらい好き勝手にしても体に悪さをすることはないだろうと、過信していました。

摂りすぎの時は、肥満になるだろうから、まだ大丈夫との過信に溢れていました。

 

当時のわたしは、甘いものは、体や脳の栄養となり、疲れを癒し、

お酒は、食事を美味しくするし、入眠もスムーズになると、実際の感覚からもそう思い、日々こうした生活習慣を繰り返していて、これが順調だとさえ思っていたのです。

 

なのに、突然、激しい喉の渇きと闘う日々が訪れるとは、夢にも思いませんでした。

コップ一杯の水やお茶を飲んでも、すぐに口の中が乾く、べたつくようにも感じする。

だから、また飲む。これを繰り返しているうちにトイレも近くなる。

おしっこを我慢できなくなってきたのです。

 

だけれども、喉の渇き具合は砂漠でオアシスを探し求めて彷徨う旅人のように日々強まって行きました。500mlのお茶なんて一気に飲み干してしまいます。

この時は、原因がわかっていませんから、水分であれば、コーラや果汁ジュースなど、なんでもぐびぐび飲みました。夜になると、チューハイ、ビールです。

 

これと並行して、トイレにも頻繁に行くようになりました。夜中でも目がさめると、尿意です。よろよろ起きては、トイレに行ってました。

 

全体的な体調ですが、喉の渇き、頻尿感がある以外は、意外と普通に過ごしていました。

ジムにも行ってましたし、仕事にも差し支えはなかったと思います。

しかし、1ヶ月ほど経ったころです、ジムで体重計に乗ると、58キロになっていました。

以前は、細身でしたが62キロはありました。

 

ズボンの緩みをはっきりと感じるうようになりました。

ジムの友人からは、痩せたんじゃない方と心配されました。

されに頻尿は強くなってきていて、通勤電車の途中の駅で降りて、トイレに駆け込むことも増えました。

この尿意ですが、一旦襲われると、我慢をするのが困難になっていました。

電車の中でしたら、気付かれないようにモジモジしていましたが、全身に冷や汗が出てきます。夜中でしたら数回起きるようになりました、寝不足になるのも生活上、辛くなってきていました。

 

それまで健康に過ごしてきた私は、時間が解決する症状と構えていたんですが、一向に改善しないので心配になってきており、時折インターネットで、「喉の渇き、口内の渇き」について、調べるようにもなっていました。

 

検索して、一番わかりやすかったのが、「ドライマウス」でした。

糖尿病もヒットしましたが、細身の自分には関係ないと思い、無視していました。

 

そこで、近所の歯科に通ったところ、色々と検査をしてもらったのですが、

唾液は、正常にでている、ドライマウスの疑いはない、と診断されたのでした。

 

困った私は、近所の開業医を訪ねることにしました。風邪をひいたり胃腸の調子が悪くなるといくクリニックです。

私は、そこで、血液検査を含め精密的な検診を受け、その結果、糖尿病と診断されたのでした。その時は、正直、耳を疑いました、「糖尿病は太っている人がなる病気」という知識しかなかったからです。それと対処療法的に治ると思っていた「喉の渇きと頻尿」を抑えるには、長期に闘わなければならないと教えられたショックは大きなものでした。

事実を受け入れることにも抵抗感がありましたし、これからどのように取り組むべきか、全く心構えも、知識もなかったからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もしもの備え

9月1日は防災の日「もしもの備え」で欠かせないものの一つに、わたしの場合は、一型糖尿病であるため、薬は欠かせません。

薬とは、インスリ注射である。

食前に投与しなければ、体内の血糖値が上がってしまうのです。

食事に含まれる糖質量によって、投与量が決まるのだが、

わたしの場合、一回の食事における糖質量は、大体決めているので、

通常ならば同じ量を注射しています。

被災して、食事は得られたとしても、内容はいつもと異なるし、体の疲労、ストレス度合いを考えると、通常のようにインスリン機械的に投与することには躊躇するでしょう、その効き目が違ったものになるだろうと思うからです。おにぎりがやパンを目の前にして、今までの経験則で糖質量を大凡を計算し、インスリンを投与すべきと思いますが、低血糖を考えると量は控えめになってしまうかもしれません。

また、血糖測定器はあればいいのだけど、最悪を想定して無い場合を考えると、さらに投与量は勘に頼ることになるでしょう。10年こういう生活をしているけど、うまく勘が働かない可能性も多々考えられます。

そして、一番の最悪、インスリン注射が手元になかったら、その時は、極力糖質を控えた食事をしなければならないが、極限の状態で何を優先すべきか、空腹で倒れるくらいなら、とりあえずあるものを食べる。血糖値が上がりすぎて倒れた経験はないけど、いまはそれしが思いつかないです。

被災して3日間しのげれば、元の食生活には近づけると思うし、以後、改善に努めればいいと考えているからです。

一方、怖いのが、低血糖です。

インスリンが効きすぎて、低血糖を引き起こすことが時々であって、そのためにフラフラになるので、気をつけたいと思っています。

気をつけるといっても、飴やジュースがあれば回復するので、防災袋にローリング方式により、保管するようにしています。

これらは、日常では、常々目にするものだけど、災害時に手に入るだろうか。用心に越したことはありませんね。

一型糖尿尿病の発症

2010年(平成22年)秋頃、正常に機能していた膵臓が異変を起こし、インスリンを作れなくなりました。最初は何が起こったのか分からず、まさか自分が糖尿病を患ったとも思わず、ただただ喉の渇きと、頻尿に悩まされる日々が始まったのでした。

その後、病院を複数受診し、最終的には、1型糖尿病と診断されたのでした。

年齢は、46歳。それまで健康診断は全て「良好」、会社でも課長職を任され、意気揚々としていた頃でした。運動も仕事帰りにはスポーツジムに通い、リフレッシュ。体重も筋肉質の痩せ型、食欲旺盛、飲酒も、スイートも好きだったが、肉も野菜もバランスよく摂っていました。

なのに糖尿病と診断され、この病気を原因とする大病を考えると、恐ろしく、夜な夜な怯えたものです。(もちろん今でも、神経、目、腎臓などに起こりうる合併症に怯えています。)

当時は、現実を素直に受け入れることができず、この病気の原因は、課長職という肩書きからくるストレス、このコントロールに日々、悪戦苦闘しているからだ。もともと、リーダーシップ型の気質ではなく、プレイヤー気質だったため合っていないんだと、外部に大きな原因があると勝手に考えてみたりしましたが、1型糖尿病はそんなに甘い病気ではなかった。仕事が順調に進み、プライベートも文句なし、欲しいものは買えるし、、、なのに、数値の改善はなかったです。

それでも、心身健全にして運動も続け、ストレスを抱え込まなければ、免疫力が高まって、治せる、これまでの病気と同じように、気力、体力で、克服できる、とまだまだ楽観していた。

自分は特別だ!

しかし、現実は、全くその通りにはいかず、血糖値は改善されず、体重は落ちさらに痩せほそり、周りからどうしたのか心配され出す始末であった。

 

結局、事実を受け入れることができない時期があっただけであった。

 

つまり、この病気は、臓器の一部不全なんだ、一生付き合わなければならないのである。このシンプルなことを受けいるのに、随分と遠回りをしたものでした。

 

こうした初期の状態から、2020年(令和2年)まで約10年が経ちました。

恐れていた、失明、脚の切断などには今の所、至ることなく、日常に自分なりに注意を図りながら日々を送っています。

一方、仕事はそれなりにこなし、時にには国内、海外旅行にも行き、食生活も満足しています。

このブログでは、これからの自分、そして同じように悩まれている方々に少しでも役に立てればと思い、書くものです。

わたしは、意思が弱く、気も弱く、決断しても続かない性分です。心配性だけど、時々、大胆な行動をして、自分でも驚いています。平均的な、どちらかというと小心者のどこにでもいる一市民が綴る、主観的なブログの内容であることを、お許しください。