1型糖尿病患者のおどおど記録

10年間の糖尿病患者、日常の闘病記録を書いています。2010年秋に発症に突如発症した一型導尿病と付き合って10年、それまでのこと、これからのことの記録です。

激しい喉の渇き! それが1型糖尿病の始まりだった

平成22年の秋、暑い夏が終わり、朝晩が涼しく感じられる心地よい秋の季節が始まっていたが、その頃の私は日々「喉の乾き」に悩まされていた。

この年の夏は大変暑かったので、この喉の渇きは、水分を求める体の生理的な習慣が長引いているのだなと軽く考えているに過ぎなかった。

 

当時を振り返ると、このころの食生活は、めちゃくちゃいい加減、気まぐれで、好き放題としか言いようがないものだった。

コーラが好き、シュークリームが好き、そして毎晩の晩酌ではビールに始まり、チョコやチーズ、アーモンドをツマミにワインか焼酎を酔って満足するまで飲み続けるというものだった。

 

晩飯は、妻の手作りだが、どか食い。白ごはんも山盛り食べるというものだった。

それでも、細身の体のままだったし、翌朝はスッキリ目が覚め、朝食を食べ、1時間の満員電車に揺られて、職場に通っていました。

そして、仕事が終わると、ジムに通い、有酸素運動、ウエイトトレーニング、ストレッチ、仲間との雑談、心地よいスパでリラックスして帰宅するという日々を送っていました。

 

自分としては、仕事の緊張感、やりがい、そしてジムでのトレーニング、、、

これだけ健全に過ごしているのだから(単なる思い込みでしたが)、食べ物くらい好き勝手にしても体に悪さをすることはないだろうと、過信していました。

摂りすぎの時は、肥満になるだろうから、まだ大丈夫との過信に溢れていました。

 

当時のわたしは、甘いものは、体や脳の栄養となり、疲れを癒し、

お酒は、食事を美味しくするし、入眠もスムーズになると、実際の感覚からもそう思い、日々こうした生活習慣を繰り返していて、これが順調だとさえ思っていたのです。

 

なのに、突然、激しい喉の渇きと闘う日々が訪れるとは、夢にも思いませんでした。

コップ一杯の水やお茶を飲んでも、すぐに口の中が乾く、べたつくようにも感じする。

だから、また飲む。これを繰り返しているうちにトイレも近くなる。

おしっこを我慢できなくなってきたのです。

 

だけれども、喉の渇き具合は砂漠でオアシスを探し求めて彷徨う旅人のように日々強まって行きました。500mlのお茶なんて一気に飲み干してしまいます。

この時は、原因がわかっていませんから、水分であれば、コーラや果汁ジュースなど、なんでもぐびぐび飲みました。夜になると、チューハイ、ビールです。

 

これと並行して、トイレにも頻繁に行くようになりました。夜中でも目がさめると、尿意です。よろよろ起きては、トイレに行ってました。

 

全体的な体調ですが、喉の渇き、頻尿感がある以外は、意外と普通に過ごしていました。

ジムにも行ってましたし、仕事にも差し支えはなかったと思います。

しかし、1ヶ月ほど経ったころです、ジムで体重計に乗ると、58キロになっていました。

以前は、細身でしたが62キロはありました。

 

ズボンの緩みをはっきりと感じるうようになりました。

ジムの友人からは、痩せたんじゃない方と心配されました。

されに頻尿は強くなってきていて、通勤電車の途中の駅で降りて、トイレに駆け込むことも増えました。

この尿意ですが、一旦襲われると、我慢をするのが困難になっていました。

電車の中でしたら、気付かれないようにモジモジしていましたが、全身に冷や汗が出てきます。夜中でしたら数回起きるようになりました、寝不足になるのも生活上、辛くなってきていました。

 

それまで健康に過ごしてきた私は、時間が解決する症状と構えていたんですが、一向に改善しないので心配になってきており、時折インターネットで、「喉の渇き、口内の渇き」について、調べるようにもなっていました。

 

検索して、一番わかりやすかったのが、「ドライマウス」でした。

糖尿病もヒットしましたが、細身の自分には関係ないと思い、無視していました。

 

そこで、近所の歯科に通ったところ、色々と検査をしてもらったのですが、

唾液は、正常にでている、ドライマウスの疑いはない、と診断されたのでした。

 

困った私は、近所の開業医を訪ねることにしました。風邪をひいたり胃腸の調子が悪くなるといくクリニックです。

私は、そこで、血液検査を含め精密的な検診を受け、その結果、糖尿病と診断されたのでした。その時は、正直、耳を疑いました、「糖尿病は太っている人がなる病気」という知識しかなかったからです。それと対処療法的に治ると思っていた「喉の渇きと頻尿」を抑えるには、長期に闘わなければならないと教えられたショックは大きなものでした。

事実を受け入れることにも抵抗感がありましたし、これからどのように取り組むべきか、全く心構えも、知識もなかったからです。